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牛とくびき

牛の首のところにつける、くびき。
このくびきに荷車や鋤をつけることで、人や物を運んだり、または農作業をする事が出来る様になる。
このくびきをつける、何かを繋ぐ、という事をヨガ、サンスクリット語でユジュと言って、ヨガの語源、由来のひとつと言われている。
牛は、そのまま何もしなければ、食う、寝る、と当たり前に生きてゆくことに必要な事だけをして過ごしてゆくでしょうが、くびきをつけることによって何かしらの生産性を産んだり、役立つ事を行い、人ととの共存関係が成立する。
お互いに活かし、活かし合う関係。
人も同んなじで食う、寝る、をただ繰り返すだけでは、他人や誰かの為にならないかもしれないが(人間には愛があるから、それでも成り立つ事はあるかもしれない)自己の能力を発揮し、最大限に活かす事で社会との関わりを持てる。




最近、自分を牛に感じた。
ふと、そう思った。
丑年であることに間違いはないが、自分を牛のように感じた。
”何の為にお前を生かしたのだ”と、あの日の私に、目の前にそびえ立つ大きな木がまるで諭すかのように語り掛けた。
それは私の心の声なのかもしれない。
人は一人では生きられず、誰かが、誰かの支えや、足らないものを補い合い、生きている。
ひとりで完璧ならば、誰をも必要としない。それはまた、寂しい。
パズルのピースのように。ピースひとつでは、その絵が何なのか分からない。
皆、重なり合い、隣合う事でひとつの絵が完成する。
その1ピースでさえ、剥がれたり、形が欠けたり、何の絵か分からなかったら、絵は完成しないかもしれない。
花のひとひら。
一枚の花びらでは、それが何の花なのか分からない。
おおきいのか、小さいのか?
どこに咲いて、いつ咲くのか?
花びらがいくつもあって花になる。
茎も根も、葉っぱも、それぞれがあって、ひとつの自然、いのちになる。
マンダラ。
いくつもの円が重なり合いマンダラが描かれる。
時に軸になったり、時に花びらのように咲き開く花にも見える。
折り重なり合いひとつの抽象的なイメージを浮かび上がらせる。
中心だと思っていたところが、ふと形作る淵へと変わる。
自分が軸や中心と感じていたところは他の何かの一端でしかなくなる。
囚われ、解放、転換。変化、調和、安定。



全体の一部。
ひとつの、集合体の一部分。
すべては総じて行えない。
全体像は一人では見えない。
あれもあってこれもあって、それもあって皆あってそこに在るもので、それぞれが織りなす絵が生まれ、花が咲き、それはいのちの、自然の流れの一部となる。




ヨガは自己との繋がり、本来の自分と成ること、そして自己と他者との繋がり。
流れゆく大きな一部分。




OM







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