2014年3月25日火曜日

前世



小学校と白い木蓮。子供達が遊ぶ。






白く大きい。重たそうにみえる。それでも上を力強く向く花たち。
いのちの記憶が、そうさせるのでしょうか。


今日は春の陽気。
お散歩をしながら、一歩一歩、道どりは過去の自分に会いに行く。

時空を超えて、前世の自分に会ってきました。

何となく、輪廻転生や前世、今生はあると思っていて、そう感じる事も日常の中でありました。
きちんと専門の方に前世をみて頂いたのは初めてで、とても有難い体験でした。
今生で、なんでだろう?とか、この感情の記憶はどこから来てるのだろう?
という謎、疑問がひとつ取れました。

ヨガをやっていると、冥想であったり、自然や宇宙を感じたり、現代では科学がものを言う世界ですから、一種の毛嫌いとされるようなものを身近に感じます。
霊的な感性に敏感になる感じでしょうか。
ハンドパワーや霊術、魔術みたいなものではなくて、神社とかもっと自然の中にある日常の普遍的なもの、身近なものです。
ただ、見えないだけです。

それを潜在意識の世界は知っています。
自分という存在の中にはとても信じられない程の過去の記憶が眠っています。
今、知っている自分は、ほんの一部です。
そんな大きな宇宙にも似たひとつの生命体でもある命が小さな自分に色々とメッセージや過去の記憶を教えてくれたのだと思います。

前世療法といって、眠る前と完全に眠りに入る直前ぐらいのところの意識で行います。
眠りの中にあるのに意識ははっきりしていて、からだは今までに無い不思議な感覚でした。

ヨガのくつろぎのときに、からだの感覚がなくなり、ただ意識が、ぽかんと見下ろしている感覚がありますが、それに少し似ていました。
前世といっても、ひとつの前世、一人の人生で、いのちの記憶はまだまだあります。
魂の記憶。


今、わたしとご縁あるひととも、前世では一緒でした。
兄弟が親子であったり、恋愛なども今生でご縁あるひとと一緒でした。
出会えた意味や、与えたりもらったり、共に過ごす時間など、前世を知って、今生のそれも深まりました。
偶然は無いのかもしれません。
主人ともやはり一緒のときを過ごしていました。

わかった事は、何故か、別れ際が苦手だったことです。
悲しい別れを体験して、それが今生でも記憶となって憶えているのでした。
これは前世の事で、今は違う、今生は違う人生を歩む、と、そう思えました。


その前世を見てくださった先生は、本当に前世はあるのかどうかは分からない。もしかしたら、無いかもしれない。
でも、前世というものを知る事で、今を生きる自分が前向きに、今の自分にとって、良き方になるのであればいい、というお話をしてくださいました。
もっともっとご説明は丁寧です。
駄文で申し訳ないです。
本当に感謝です。

受ける前のこと。
受ける直前に、前世を知りたい、好奇心にも似た気持ちで生命の大きなものに触れてよいのか、前世を忘れている事も人間にとって必然の事なのかもしれない、知ってしまってよいのか、それは前世療法の否定という意味ではなく、その事に向き合うだけの心の準備を自分が出来ているのか、という事で、軽率ではなかろうか、安易で何にでも好奇心旺盛な自分を恥じましたが、先生より、潜在意識は自分にとって不都合なもの、は決して見せてくれませんし、心の準備ができていない記憶も見せてくれません。ちゃんと自己防衛できているんです。
なので、心配することは何もないんですよ、と教えてくださいました。
受けさせて頂いて、本当によかったです。

何となく、こんな未来がみえる、とか、何となしにこんな感じがする、とか、そんな第六感に似たようなイメージが出てくることがあり、訳も分からず、不安になったり、心配したりもしましたが、過去の前世の記憶から教訓などを学び、今生でそれを教えてくれていたんだな、と納得しました。
理由が分かり、すっきりです。


絶対ではないけれど、潜在意識の中で存在する自分。世界。
それは夢を見ているときと似ています。
夢を見ることで、癒したり、何か注意したり、心の状態を現したり。
時に亡き人や家族が現れたりして、メッセージを送ります。
脳という場所は、そんな時空を越えたやりとりが成立する、未知な場所なのだと思います。

去年から、とくに台湾旅行の、あの飛行機内での空とも、宙ともいえる場所を通過してから、ずっとあった時空という言葉。
科学と自然だけでなく、心の中でもあるのだということを気付かされました。




ヒプノセラピー 



2014年3月7日金曜日

宇宙の旅

映画の地球交響曲は、昨年、明治神宮にて第六番を観ました。
出演されている方の生演奏も聴けて、あの空間で身体全体で受け取る波動のようなものは何とも言えません。
振動です。

ずっと観たかった地球交響曲をご縁があり、DVDをお借りして、観させて頂いています。
心より感謝しております。
第一番のトマト栽培の植物学者の方から、宇宙飛行士の方まで異業種、幅広い分野の方が出演されていますが、通ずるものがあります。

テクノロジーとひとの方向性。
地球や自然に教わる姿勢といえばよいのでしょうか。
人間界のことだけでなく、一歩先へ、何歩先へも進んで、どの方も地球規模で考えています。
地球というひとつの生命体として。

映画は毎週のように借りている時期もありましたが、中でもキューブリック監督作品の2001年宇宙の旅のラストシーンが理解できないでいました。
今回、地球交響曲を観て何となく、あぁ、この事を言っていたのかなぁ、と思いました。

地球は大気を覆ったオゾン層があります。
それは人間、赤ちゃんでいうと、子宮の膜のようなものです。
それに守られて私たちは暮らしています。
地球はひとつの生命体のようなもの。
アポロ9号、宇宙飛行士ラッセル氏の言葉です。
全くの引用ではないのですが、このようなことをお話されていました。

あのシーンはこの事に当てはまるのかなぁ、と謎が解けたような気がしました。

あの話も人間が創りだしたHALという高性能の機械と人間の宇宙の旅。
人間の創り出した文明、発展とそのテクノロジーによって、機械も人間のように判断が出来、一種の感情のようなものも持ち、人間のいのちを脅かす。
自分自身の創り出したものによって破滅へと向かう。

手塚治虫の火の鳥でもこのような話がありました。

話は飛びますが、色々つながります。
人間としての方向性。

野口晴哉先生の本でお話されている、体癖論から集中欲求と鬱散欲求というのがあります。
子どもでも大人でもあるのですが、子どもの方が分かりやすいかもしれません。
何回言ってもわるいことを辞めない。
言っても分からない。
何故だろう、と大人は思います。
子どもにとっては、要は怒られようが褒められようが、どちらでも構わないのです。
集中欲求を持っている子はただ自分というものへの意識をこちらに向けたいのです。
鬱散欲求はそれとは違い、外へ出すエネルギーです。
身体を動かしたい、泣きたい、遊びたい、など発散するエネルギーです。

何にせよ、ひとは動き続けますし、出したり、欲したり、身体から成る心の作用など様々なもので生命が成り立っています。
どちらも、我、此処に在り、という人間の本質です。

ひとのあらゆる物事やエネルギーは、正しい方向で使うべきですし、その物事の持つ意味や価値を理解して、上手く利用、応用、循環といえばよいのでしょうか。そうすることがたいせつなのだと思います。

ひとの持つ力の方向性と、地球という命とのつながり。
共存。調和。平和。


また話は移り、台湾へ行く途中の飛行機内。
それはまさしく空にはいますが、宇宙に近づいているともいえます。
大気圏内ではありますが、音が聴こえた気がしたのです。
それは脳内なのか、心からなのか、何処からなのか分からないですが、その空はとても静かで静寂、高い高度のところだったのだと思います。
三音聴こえたのです。
それぞれひとつのときもあれば、二音重なり、三音の和音にもなりました。
耳には聴こえない音。
地球の大気圏と宇宙との間のところでしかない世界で。
30分くらいだったと思います。
とても心地よかったです。

今週は、マントラアサナを太陽礼拝をしながら行なったのですが、音による人の身体への影響はとても不思議で、地球交響曲にも出てきますが、インドの言葉にあるナーダ イズ ゴッド。
音は神である。
計り知れない何かが、私たちを覆っている感覚。
AOUMを唱えながら、アサナをしながらのひととき

空間にある波動が、ひとの身体でも何であったとしても感応、反応して、それが音になる。
音として表される、という感じでしょうか。
場にある波動を音で表すとこんな感じ、というような風に音は生まれる、段階を踏むのかな、と思いました。

地球交響曲、第八番。
サブタイトルは、ナーダブラフマー。
音こそ神なり。
今、調べて知りました。



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