小学校と白い木蓮。子供達が遊ぶ。 白く大きい。重たそうにみえる。それでも上を力強く向く花たち。 いのちの記憶が、そうさせるのでしょうか。 今日は春の陽気。 お散歩をしながら、一歩一歩、道どりは過去の自分に会いに行く。 時空を超えて、前世の自分に会ってきました。 何となく、輪廻転生や前世、今生はあると思っていて、そう感じる事も日常の中でありました。 きちんと専門の方に前世をみて頂いたのは初めてで、とても有難い体験でした。 今生で、なんでだろう?とか、この感情の記憶はどこから来てるのだろう? という謎、疑問がひとつ取れました。 ヨガをやっていると、冥想であったり、自然や宇宙を感じたり、現代では科学がものを言う世界ですから、一種の毛嫌いとされるようなものを身近に感じます。 霊的な感性に敏感になる感じでしょうか。 ハンドパワーや霊術、魔術みたいなものではなくて、神社とかもっと自然の中にある日常の普遍的なもの、身近なものです。 ただ、見えないだけです。 それを潜在意識の世界は知っています。 自分という存在の中にはとても信じられない程の過去の記憶が眠っています。 今、知っている自分は、ほんの一部です。 そんな大きな宇宙にも似たひとつの生命体でもある命が小さな自分に色々とメッセージや過去の記憶を教えてくれたのだと思います。 前世療法といって、眠る前と完全に眠りに入る直前ぐらいのところの意識で行います。 眠りの中にあるのに意識ははっきりしていて、からだは今までに無い不思議な感覚でした。 ヨガのくつろぎのときに、からだの感覚がなくなり、ただ意識が、ぽかんと見下ろしている感覚がありますが、それに少し似ていました。 前世といっても、ひとつの前世、一人の人生で、いのちの記憶はまだまだあります。 魂の記憶。 今、わたしとご縁あるひととも、前世では一緒でした。 兄弟が親子であったり、恋愛なども今生でご縁あるひとと一緒でした。 出会えた意味や、与えたりもらったり、共に過ごす時間など、前世を知って、今生のそれも深まりました。 偶然は無いのかもしれません。 主人ともやはり一緒のときを過ごしていました。 わかった事は、何故か、別れ際が苦手だったことです。 悲しい別れを体験して、それが今生でも記憶となって憶えているのでした。 これは前世の事で、今は違う、今生は違う人生を歩む、と、そう思えました。 その前