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丹田力生命力開発法

久しぶりの東中野沖ヨガスタジオへ行って参りました。 今回もたくさん学ばせていただきました。 四国や地方から来られてる方も多く、沖ヨガ道場時代の貴重なお話もお伺いできました。 やった内容は、初めての方は、え、これヨガなの?と思われるような内容ばかりで、今回も思いきり自分の体の可能性を拡げる動きができました。 身体能力や、適応力というのは、開発されるものである、とやっていく段階で気づいていきます。 今回も短い2時間半の間でしたが、それを感じました。 講師の先生や、沖ヨガ道場に居られた方のお話で、言葉の中にある意味の深さにすこしだけ近づいたかもしれません。 本当の理解とは、実践してこその理解であること。 出来ない、わからない、という認識や自覚をしているか、していないかの違いがあること。 理解したつもりであっただけのことがやってみてはじめてわかります。 さて、今回も脳の刺激、背骨の刺激をたくさんして参りました。 両生類や爬虫類の動き。四足歩行の動物の動き。跳んだり、はねたり。 体の昔の歴史を辿ることにより、脳への刺激が変わる、ということです。 今日の気づきは、心やイメージする事。 頭で、この動きをする、だったり、確か足はこの位置で、手はこの位置だったはず、順番としてはこれが先に出て、これが後、ってやってるとたちまち出来なくなる。頭の理解でやると体が着いて行かなくなる現象。 これをカエルになる、とか犬の楽しそうな駆け回るイメージで、とか、いきるよろこびー!!を全身で表現する、という風にやると、出来る。 その心の動きや、イメージを体で表現する、という風にやると頭で考えてやるのより断然動けました。 これは私個人の気づきです。 ダンスであったり、スケートであったり、よろこびや悲しみを体で表現し、スケートでは芸術点にもなり、ただかたちをなぞるだけではない、そこに本質が内在されています。 それは心、イメージ、表現です。 心やイメージが体に作用する、というのは今回のことでも学びました。 ストレスや楽しみ、笑いが病気やガンとも関係して、病状が悪くなったり、よくなったりというのがあります。 体の動きというのは、もちろん脳の指令によって手脚が動かされる

ヨガの先生

ヨガの先生や本について、今までも少しご紹介しておりましたが、今後も載せていこう、お伝えしてゆこうと思います。 ヨガの先生。 直属のご指導を頂いております先生は龍村修先生になります。 昨年、養成コースに入り、今年始めに修了した訳ですが、日本の武道や中国の気功やインド哲学などなど東洋思想の入ったヨガになります。 今でこそ、フィットネスタジオやヨガ教室、スクールなど、スタジオプログラムでもヨガが入り流行に波はありますが、続いているようです。 それよりも前の1970年代頃に一度日本で流行しました。その火付け役、日本にヨガを拡めたのが、沖正弘先生になります。 沖先生は第二次世界大戦中、諜報員、いわゆるスパイとして、必要上、東西の医療や宗教について学び各国を回られました。 ガンジーのアシュラムにも足を運び、ヨガを密教として、原則をそこでも学ばれています。 著書のヨガの喜びや、ヨガ指導者のバイブル的なアイアンガー氏の記した、ハタヨガの真髄、など沖先生が翻訳をされており、あとがきなどでも当時の事が書かれています。 沖先生、ご自身は中村天風氏にヨガを学ばれており、この方が現代、近代に於いて初めて日本にヨガを持ち込まれた方です。 その前になりますと、奈良時代〜平安時代まで遡り、弘法大師空海になります。 中村天風氏は経済界、あるゆる著名人も天風氏のもとで講義を受けています。 作家、宇野千代さんですとかそれこそあらゆるジャンルから沢山の方に支持されています。 没後、その著書は読まれ、最近ですと、歌舞伎の市川海老蔵さんがあるテレビでお勧めしたい本は、と聞かれ、中村天風氏の本を挙げていました。 中村天風氏の元でヨガを学び、拡める為、天風氏の元を離れ、独立され、静岡県三島に沖ヨガ道場をつくります。 各国を飛び回り、習得、研究された内容を試す、という言い方は違うかもしれませんが、研究されたことを道場にて実践されました。付け加えると、ヨガは理論、理屈だけでなく、行ってこそはじめて活きる、という考えがあります。行法と言います。行法哲学です。 寝食を皆で共にし、体のこと、食事の事、あらゆる事を生活の中で行いながら、人間を全体としてみて、強くする。 道場には常に新しい方がみえ、何日かで出て行く方もいれば、何年も修行される方もいれば様々です。

手放す、もらう

龍村先生を師事しておりますが、沖ヨガ、龍村ヨガでは、あらゆるところで、いろんな先生から、たくさん学びなさい、と言われています。 何て懐が広いのでしょうか。 ヨガ全体が、そのような雰囲気なのだと思います。 名前や流派こそ、様々にありますが、原則は変わらず、先人、賢人が教えてくださいます。 そろそろ今年のヨガフェスタが気になるところ、タイムテーブルをチェックして参加したいと思っています。 昨年のヨガフェスタ。 いくつかヨガを受けましたが、忘れられない講義。 フリースペースでお話しされていたケンハラクマ氏。 誰でも聞ける、フリースペースの場所での事。 からだは動かしていないけれど、呼吸と気持ち、心の内容で、幾つかの内容の中でも、一番からだに残っています。忘れないこと。 沖ヨガでは、呼吸するとき、口呼吸で息を吐き、鼻から吸います。日本武術、武道の概念、中国の陰陽など、気功も入っている為、邪気払いで口から、力強く気合いも込め、声を出すときもあれば、静かに浄化の為出すときもあります。様々に。 そして、ヨガに絶対はありません。 自分のからだで確かめます。 ハラクマ先生が仰っていたのは、息を吐くときは、手放す。 吸うときは、頂く。 息を吐きながら、いろんな背負っているもの、手放せないもの、しがみついているもの、人間の欲によって持ってしまっているもの、そんな心を手放す。 そして、手放した分、入ってくる。 ありがたく感謝の気持ちで頂く。 心の呼吸してますか? 息、吐けてますか? 息、吸えてますか? 止まってたりしませんか? まずは手放しましょう。 そうしたら、新しい気が入ってきます。 からだで覚えると心でも忘れません。 心身一如です。 あの空間の、あのからたと心の感覚は今も覚えています。 やっぱりヨガはポーズだけだなく、内面を観る、呼吸を観ることはたいせつです。

OKIDO YOGA from Italy

イタリアにて長い間沖ヨガをされていらっしゃる龍村恵美子先生のヨガを受けて参りました。 とても潔い、快活な気持ちの良い方でした。ご年齢をお伺いしてびっくりです。10、20歳お若くみえます。 盆の窪について教えてくださり、首の後ろ、頚椎と頭蓋骨のつながる部分とでも言えばいいのでしょうか、そこが詰まっているか、否かで、頚椎の歪み、腰の歪み、更には、内臓にまで影響します。 何でも起点、始まりの場所が大事なのですね。 詰まりなければ、そこに指が左右と合わせて計8本入ります。 ひとりひとりその場所を触って頂き、みてくださいました。 そして丹田から、腹に力を入れること、肩の力を抜くこと、正座からの背筋のつながり、内臓の関連、そして哲学に至るまで、とても深い内容で、初めてやることばかりだったのでとても勉強になりました。 イタリアで芸術活動をされていらっしゃる方もOKIDO YOGAをやられていたり、タンゴをやられてたりですとか、今回はるばるイタリアから生徒のお弟子さんがいらっしゃって、ペアになり気の導引や、修正法などなど、一緒になってやりました。 とてもたのしかったです。 bene!!(いいね) 言葉は違えど、生き方や心のこと、体の事は分かり合えるし、ヨガを通して、心の平穏を感じている変化や気づきも自身と同じで、国境を越えて、繋がり合える、喜び合える、ということを嬉しく思いました。 いつかイタリアで今日出会えた方達とヨガしたいな、と思いました。 Grazie!! 今日学んだ事も、ヨガ講習に来てくださる方々にお伝えしたいと思います。 Chao〜♪ 気分はイタリア。 (記念撮影もしましたが、後日サイトを載せまして、シェアさせて頂きます。)

goal

4/5のWS後。 鎌倉にて海を見て、江ノ電に乗り、七里ヶ浜で下車した後、江ノ島まで海沿いを歩いて帰りました。 2時間ぐらい歩いたと思います。 そんなに長くは感じませんでした。 倍音の音で全身が浄化され、詰まるものがなくなりました。 浜辺を裸足で歩きながら、鼻歌まじりに進みます。 波の音でうたっている声など周囲のひとには聴こえません。 大きな声で歌っていました。 音楽というより、音を聴いた後。 鼻歌も音から始まり、いのちの起源から、海、陸へ、そしてひとへ辿るような、音から音楽への鼻歌へ変わります。 ダイヤモンド富士が最後に迎えてくれました。 夕焼けなんて、久しぶりに見て、だんだんと赤く染まっていく景色を見たことは無いに等しいかもしれません。 最初から最後まで、日が暮れ行くのを見届けた後、終わったな、とふと思いました。 夕暮れが私に教えてくれたような、こんな景色を見せてくれた意味のような。 なぜだか、ふと幕が閉じた、と感じ、私自身に告げてくれたような気がしました。 数日後。 いろんな身の周りのものたちが別れを告げています。 携帯の画面が破損しました。 いつも持ち歩いているハンカチタオルも数枚、私の手元からなくなっています。 服、物質などなど手元から放れていきます。 物質の循環が始まっているようです。 今まで持っていたものを手放して新しい出会いをしましょう、という流れのようです。 いつまでも自分だけの手元に置いておくべきではありません、と。 物も、知識も、知恵も、愛情も、お金も持っている限りを出して、他の為に回しなさい、循環させた方が良い、その順番が今自分に来ているのですよ、と感じました。 執着しない。 求めない。 必要なものは必要なだけ巡ってくるし、必要ないものは手元から放れていく。自然の摂理と一緒のようです。 さて、とても感動したことがふたつありました。 地球交響曲の2番だけ観ていなかったのですが、先日観ました。 佐藤初女さんの本は読んだ事があったのですが、お話される姿をはじめて見ました。 とても優しい方です。 森のイスキアというところで悩める人たちを迎え入れ、料理を食べると皆癒され回復していく、前向きになる、そんな活動をずっとされている方です。 地球交響曲の中でお話されていた言葉です。 祈りは手を合わせるだけで、祈りにはなるけれども、それは静の祈りです、その祈りをし

鎌倉×yoga×healing sound

鎌倉にてyogaのWSに参加してきました。 その後、海へ。 かたちをくっきりと成す雲。 青に映える。 心地良い風。海。光り。 からだが浄化されます。 氣が整います。 はじめて身体で感じた倍音。 クリスタルボウルから出る音。 それはCDやスピーカーからは感じることのできない波動です。 身体全体でその振動を感じました。 とても心地良い中でのヨガでした。 音が耳から聴こえていたものが、脳に入り、体内に入り、最後は体の中から音を発しているような感覚になりました。 音と一体となりました。 クリスタルボウルとディジュリドゥ、ガング、ティンシャからなる楽器からヨガをしてみえた事。 先生のお話にあった呼吸や循環、陰陽について。 電子や細胞の核、宇宙の天体も身体の組織も似ていて、つながりがみえること。 倍音からの音で、私自身の身体はすこし時空を超えたところにいて、大気圏の狭間というのか、陰陽の間というのか、抽象的な、イメージ的な例えになりますが、そこから生まれ出た物体という感覚がありました。 そこを行ったり、来たりするような。 氣の拡がりと体という個への収縮と、いのち全体で呼吸を繰り返している、という中でのヨガでした。 上手く言葉では説明できません。 そんな感覚を感じながらのヨガでした。 あと気付いた事は、唾液の味が途中で変わった事。 調べてる訳じゃないので分かりませんが、アルカリ性に変わったような気がしました。酸性だったものが音により電子、循環が変わり、体内の血液が変わったのだと思います。 思い浮かんだのは、またもや機内の空、宙なのでした。 OM ナマステ。

前世

小学校と白い木蓮。子供達が遊ぶ。 白く大きい。重たそうにみえる。それでも上を力強く向く花たち。 いのちの記憶が、そうさせるのでしょうか。 今日は春の陽気。 お散歩をしながら、一歩一歩、道どりは過去の自分に会いに行く。 時空を超えて、前世の自分に会ってきました。 何となく、輪廻転生や前世、今生はあると思っていて、そう感じる事も日常の中でありました。 きちんと専門の方に前世をみて頂いたのは初めてで、とても有難い体験でした。 今生で、なんでだろう?とか、この感情の記憶はどこから来てるのだろう? という謎、疑問がひとつ取れました。 ヨガをやっていると、冥想であったり、自然や宇宙を感じたり、現代では科学がものを言う世界ですから、一種の毛嫌いとされるようなものを身近に感じます。 霊的な感性に敏感になる感じでしょうか。 ハンドパワーや霊術、魔術みたいなものではなくて、神社とかもっと自然の中にある日常の普遍的なもの、身近なものです。 ただ、見えないだけです。 それを潜在意識の世界は知っています。 自分という存在の中にはとても信じられない程の過去の記憶が眠っています。 今、知っている自分は、ほんの一部です。 そんな大きな宇宙にも似たひとつの生命体でもある命が小さな自分に色々とメッセージや過去の記憶を教えてくれたのだと思います。 前世療法といって、眠る前と完全に眠りに入る直前ぐらいのところの意識で行います。 眠りの中にあるのに意識ははっきりしていて、からだは今までに無い不思議な感覚でした。 ヨガのくつろぎのときに、からだの感覚がなくなり、ただ意識が、ぽかんと見下ろしている感覚がありますが、それに少し似ていました。 前世といっても、ひとつの前世、一人の人生で、いのちの記憶はまだまだあります。 魂の記憶。 今、わたしとご縁あるひととも、前世では一緒でした。 兄弟が親子であったり、恋愛なども今生でご縁あるひとと一緒でした。 出会えた意味や、与えたりもらったり、共に過ごす時間など、前世を知って、今生のそれも深まりました。 偶然は無いのかもしれません。 主人ともやはり一緒のときを過ごしていました。 わかった事は、何故か、別れ際が苦手だったことです。 悲しい別れを体験して、それが今生でも記憶となって憶えているのでした。 これは前世の事で、今は違う、今生は違う人生を歩む、と、そう思えました。 その前

宇宙の旅

映画の地球交響曲は、昨年、明治神宮にて第六番を観ました。 出演されている方の生演奏も聴けて、あの空間で身体全体で受け取る波動のようなものは何とも言えません。 振動です。 ずっと観たかった地球交響曲をご縁があり、DVDをお借りして、観させて頂いています。 心より感謝しております。 第一番のトマト栽培の植物学者の方から、宇宙飛行士の方まで異業種、幅広い分野の方が出演されていますが、通ずるものがあります。 テクノロジーとひとの方向性。 地球や自然に教わる姿勢といえばよいのでしょうか。 人間界のことだけでなく、一歩先へ、何歩先へも進んで、どの方も地球規模で考えています。 地球というひとつの生命体として。 映画は毎週のように借りている時期もありましたが、中でもキューブリック監督作品の2001年宇宙の旅のラストシーンが理解できないでいました。 今回、地球交響曲を観て何となく、あぁ、この事を言っていたのかなぁ、と思いました。 地球は大気を覆ったオゾン層があります。 それは人間、赤ちゃんでいうと、子宮の膜のようなものです。 それに守られて私たちは暮らしています。 地球はひとつの生命体のようなもの。 アポロ9号、宇宙飛行士ラッセル氏の言葉です。 全くの引用ではないのですが、このようなことをお話されていました。 あのシーンはこの事に当てはまるのかなぁ、と謎が解けたような気がしました。 あの話も人間が創りだしたHALという高性能の機械と人間の宇宙の旅。 人間の創り出した文明、発展とそのテクノロジーによって、機械も人間のように判断が出来、一種の感情のようなものも持ち、人間のいのちを脅かす。 自分自身の創り出したものによって破滅へと向かう。 手塚治虫の火の鳥でもこのような話がありました。 話は飛びますが、色々つながります。 人間としての方向性。 野口晴哉先生の本でお話されている、体癖論から集中欲求と鬱散欲求というのがあります。 子どもでも大人でもあるのですが、子どもの方が分かりやすいかもしれません。 何回言ってもわるいことを辞めない。 言っても分からない。 何故だろう、と大人は思います。 子どもにとっては、要は怒られようが褒められようが、どちらでも構わないのです。 集中欲求を持っている子はただ自分というものへの意識をこちらに向けたいのです。 鬱散欲求はそれとは違い、外へ出すエネルギーです。