2013年11月24日日曜日

ヨガ、自然、いのち

今年の元旦に泣いた記憶があります。
涙もろく喜怒哀楽どんな場面に於いてもよく泣きます。

今年、周りの友達にも先輩にも妹にも知人にも赤ちゃんが産まれました。
新しい生命の誕生。
赤ちゃんは泣く事が仕事で言葉に出来ない事を泣いて必死に伝えようとします。

赤ちゃんを見る度に、今縁あって出逢えた体操教室に通うすくすくと育っている子どもたちのことを想い幸せを願います。より良い社会を創り、渡したい思いと未来の社会に貢献してくれるであろう子どもたちの成長を祈ります。
前職はどちらかというとご年配の方と多く接していたので人の一生について今、学んでいます。
ひととの出逢い、運命はきっかけとなり人生を大いに変えていきます。

今年は自分自身を産まれたばかりの赤ちゃんのように感じていました。
ヨガも幼児児童体操も一から始めた私はまるで赤ちゃんのようにまだヨチヨチ歩きの状態。
初めてのものを見て、真似て、自分のものにしていく。
様々な情報を感覚や体感から取り込み、知識を知恵として実行、実践する一歩手前。まだ何も形に出来ていないけれど初めて出逢うことに感動し、驚き、楽しんでいる。それは子どもと同じです。

ヨガで身体の感覚が大きく変わりました。
身体での体感、実感であるので言葉で上手く表現することは難しいです。
それでもあえて言葉にすれば空気の密度が濃くなったという感じ。言い方を変えると、世界が色濃くなった、空気が吸い付くような感じ、地球の地面、地とつながっている、緑が濃い、世界の彩りが鮮やか、自然とつながっている。こんな風な不思議な表現になります。
この感覚を知らなければ、ずっと一生体感としては気付けなかったかもしれないです。
やはり現代の暮らし、生活の中では人は自然と遮断されています。切り離された存在になってしまう。比べてしまうと以前は自然と繋がっておらず取り残されたように宙に浮いてる感じだった、とも思えました。
身体の実感があまりにも少ない。電子機器の影響や身体の能力が衰え機能が低下している為に不自然で異常な状態になっているのかもしれない。
ヨガをして身体で感じ得ました。

釈尊やヨガを伝承してくださった偉大なる方々の言わんとする事が、頭で知識として理解していた事が、あぁ、こういうことなのかもしれないと身体で分かったような気がしました。

それ以来、自然のことを思うようになり、考え、深く悩むまでに至りました。果てはヨガなんて勉強していて良いのだろうか、やるべき事は他にあるのではないか、というところまで行き着いてしまいました。今まで無視してきた自然の声の叫びが一気に聞こえたようで、苦しかったです。それでも巡り巡って、辿り着いた答えは、ヨガを通し、自然のことをおもう人が一人でも増えれば良いなということでした。私がそう感じたように。
けれど、ヨガは一人一ヨガと言われており、それぞれが本来の自分と出逢い、その人が持っている可能性を最大限に活かすことでもあるので、自分だけの考えを強要せず、一人ひとりがより善い生き方をしてほしいと願うようになりました。それが自然なのだと。私にとってはそれが自然についてだったのです。

家の観葉植物や登山をしているときに木の心、植物の心と言えばいいのか、人間と同じように感じられるようになりました。単純だけれど、水を欲しているとか、根に病気を持っているとか、鉢が小さいと言っているとか、生きている声が聞こえます。生命力を感じるのです。それは花にも。
店頭に並んでいて、見た目はきれいな葉っぱの色をしているけれど、腐らないように薬をいっぱい飲まされて病気になっている、とか。最近、冬眠に入ったなど。
ひとがいないときの方が落ち着いて、よく育つようで敏感で繊細な性格、性質なのだと気付きます。
植物の些細な小さい声のようなものが聞こえるのです。
インドの支則だとサマディーに当てはまるのかなと後に思いました。サマディーとは植物、動物、石の心を感じること。

私の身体が拓かれて、気付けなかった事が気付けるようになりました。
自然に感謝をするようになり、同時に申し訳ない、罪な事をしていると思います。無知であることは罪です。
心で知る、理解したことをたいせつにしてゆきたいです。

産声をあげた赤ちゃんの世界は全てが新しいものとの出逢い。感動して、楽しみ、転んだりしながら歩く。人生味わい深く育んでゆこう。


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