先日、中国の八卦掌を学びました。
ご指導頂いた李先生は初めてお逢いしたのですが、私の身体と心の動きを全て見透かされているようでした。その上で丁寧にご指導してくださり楽しいひとときを過ごしました。
お話の中に、身体の中心をつくりバランスを保つのは精神であると仰っていました。
しなやかさと力強さは背骨と精神から成り立つ、と。
姿勢という言葉は身心、両面で表現される言葉であるように身体と心は切り離せません。
ヨガ、武術と出会い表裏一体を感じます。
世界は陰陽のバランスで成り立っています。
一人の人間にも表裏があり度合いの違いがあるだけで対になって出来ています。
100円の硬貨は100と反対に桜が書かれた絵が。
落ちる木の葉も然り。
人間は前側にお腹、後ろ側に背中といったように。
表だけ裏だけの人間や物事はきっとないと思いますし、それが自然です。
今、問題になっている食品の誤表示は表だけ良く見せようという不自然な結果の現れです。良くも悪くもそのまま存在するのが自然です。そして対象の物事は良いのか悪いのかも捉え方により変わります。
更に抽象的になりますが、そこに光が入れば闇も消えたり、光の角度で違う見え方をします。
一方的に捉えるのでなく多面的に捉える。二次元でなく、三次元のように質感や立体感を得て柔軟に本来の姿を見たいです。その方が深みを増し、より楽しいです。
生涯を通して身体を研究されている先人の方々に出逢う度、感じるのは身体の深さ。
身体は海のようです。
外からの見た目だけだと深さは分りません。浅瀬と一緒かな、と思ったりします。
身体や心の動き、共に過ごすとその深さが増していきます。まだ、深い。
どこまでも透き通っていて、濁っていない、そこには快い流れがあります。
腰痛、首、肩の痛みや強張りは小さな川の流れに石が入り、せき止められて木くずやごみが詰まるといった感じです。
後日、器用でない人間が同時にいくつも吸収したので身体のサインとして知恵熱のようなものが出ました。学びを深めていきたいのですが、許容量をオーバーしたようなので今回、身体が身を持って教えてくれた、自分を知る事が出来た、と身体に感謝と癒しの気持ちを持って少しゆっくり歩を進めます。
ヨガが私にとって陽ならば、武術は陰なのだと感じました。
磁力で引き合い反発するように今はヨガと向き合う時であると感じました。表裏、陰陽バランスを保ちながら、限られた時間とひとつしかない身体をたいせつに、心は正直に生きていきたいです。