2013年11月28日木曜日

江ノ島



ヨガを始めたのは江ノ島です。
それ以前にもジムへ通っているときに数回参加しましたが、今の自分のきっかけとなったと思える場所は江ノ島でのヨガです。

もうすぐ二年になりますが、江ノ島と湘南の海、富士山、夕日を眺めながら、自分と向き合える、自然が迎えてくれる、贅沢な時間を過ごせた事はありがたい出逢いでした。
感謝です。

育ったのは海老名ですが、産まれは茅ヶ崎で幼少期は毎週末、海へ行っていたそうです。
記憶には残っていませんが、潜在的に身体は覚えているのか、節目節目に湘南へ足が赴きます。
二年前、江ノ島のヨガへ行ったときもそんなときだったのだと思います。

今日はヨガと出逢えた江ノ島の地へ一年程の期間を置いて行って参りました。
先生とは久しぶりの再会でしたが変わらず、あたたかく迎えてくださり、とても快いクラス、時間、空間、ひとときを過ごしました。

江ノ島の弁財天様も喜んでくださったのか、素晴らしいプレゼントをくださり、先生がお話してくださったのですが、彩雲が出たのだそうです。
江ノ島から縦長に伸びる虹。
写真に納めたものを見ましたが、とても綺麗でした。
良き事が起こる吉兆なのだそうです。
江ノ島から出る虹の始まりを見た気がしました。

江ノ島は台風や嵐が来ても何故か江ノ島だけは雨も降らず、通り過ぎる。そんな不思議な場所。弁財天様が見守っているのですね。

始まりの場所である江ノ島の地。
しあわせを感じた一日でした。
ナマステ。










2013年11月24日日曜日

ヨガ、自然、いのち

今年の元旦に泣いた記憶があります。
涙もろく喜怒哀楽どんな場面に於いてもよく泣きます。

今年、周りの友達にも先輩にも妹にも知人にも赤ちゃんが産まれました。
新しい生命の誕生。
赤ちゃんは泣く事が仕事で言葉に出来ない事を泣いて必死に伝えようとします。

赤ちゃんを見る度に、今縁あって出逢えた体操教室に通うすくすくと育っている子どもたちのことを想い幸せを願います。より良い社会を創り、渡したい思いと未来の社会に貢献してくれるであろう子どもたちの成長を祈ります。
前職はどちらかというとご年配の方と多く接していたので人の一生について今、学んでいます。
ひととの出逢い、運命はきっかけとなり人生を大いに変えていきます。

今年は自分自身を産まれたばかりの赤ちゃんのように感じていました。
ヨガも幼児児童体操も一から始めた私はまるで赤ちゃんのようにまだヨチヨチ歩きの状態。
初めてのものを見て、真似て、自分のものにしていく。
様々な情報を感覚や体感から取り込み、知識を知恵として実行、実践する一歩手前。まだ何も形に出来ていないけれど初めて出逢うことに感動し、驚き、楽しんでいる。それは子どもと同じです。

ヨガで身体の感覚が大きく変わりました。
身体での体感、実感であるので言葉で上手く表現することは難しいです。
それでもあえて言葉にすれば空気の密度が濃くなったという感じ。言い方を変えると、世界が色濃くなった、空気が吸い付くような感じ、地球の地面、地とつながっている、緑が濃い、世界の彩りが鮮やか、自然とつながっている。こんな風な不思議な表現になります。
この感覚を知らなければ、ずっと一生体感としては気付けなかったかもしれないです。
やはり現代の暮らし、生活の中では人は自然と遮断されています。切り離された存在になってしまう。比べてしまうと以前は自然と繋がっておらず取り残されたように宙に浮いてる感じだった、とも思えました。
身体の実感があまりにも少ない。電子機器の影響や身体の能力が衰え機能が低下している為に不自然で異常な状態になっているのかもしれない。
ヨガをして身体で感じ得ました。

釈尊やヨガを伝承してくださった偉大なる方々の言わんとする事が、頭で知識として理解していた事が、あぁ、こういうことなのかもしれないと身体で分かったような気がしました。

それ以来、自然のことを思うようになり、考え、深く悩むまでに至りました。果てはヨガなんて勉強していて良いのだろうか、やるべき事は他にあるのではないか、というところまで行き着いてしまいました。今まで無視してきた自然の声の叫びが一気に聞こえたようで、苦しかったです。それでも巡り巡って、辿り着いた答えは、ヨガを通し、自然のことをおもう人が一人でも増えれば良いなということでした。私がそう感じたように。
けれど、ヨガは一人一ヨガと言われており、それぞれが本来の自分と出逢い、その人が持っている可能性を最大限に活かすことでもあるので、自分だけの考えを強要せず、一人ひとりがより善い生き方をしてほしいと願うようになりました。それが自然なのだと。私にとってはそれが自然についてだったのです。

家の観葉植物や登山をしているときに木の心、植物の心と言えばいいのか、人間と同じように感じられるようになりました。単純だけれど、水を欲しているとか、根に病気を持っているとか、鉢が小さいと言っているとか、生きている声が聞こえます。生命力を感じるのです。それは花にも。
店頭に並んでいて、見た目はきれいな葉っぱの色をしているけれど、腐らないように薬をいっぱい飲まされて病気になっている、とか。最近、冬眠に入ったなど。
ひとがいないときの方が落ち着いて、よく育つようで敏感で繊細な性格、性質なのだと気付きます。
植物の些細な小さい声のようなものが聞こえるのです。
インドの支則だとサマディーに当てはまるのかなと後に思いました。サマディーとは植物、動物、石の心を感じること。

私の身体が拓かれて、気付けなかった事が気付けるようになりました。
自然に感謝をするようになり、同時に申し訳ない、罪な事をしていると思います。無知であることは罪です。
心で知る、理解したことをたいせつにしてゆきたいです。

産声をあげた赤ちゃんの世界は全てが新しいものとの出逢い。感動して、楽しみ、転んだりしながら歩く。人生味わい深く育んでゆこう。


2013年11月7日木曜日

オモテ、ウラ

先日、中国の八卦掌を学びました。

ご指導頂いた李先生は初めてお逢いしたのですが、私の身体と心の動きを全て見透かされているようでした。その上で丁寧にご指導してくださり楽しいひとときを過ごしました。

お話の中に、身体の中心をつくりバランスを保つのは精神であると仰っていました。
しなやかさと力強さは背骨と精神から成り立つ、と。
姿勢という言葉は身心、両面で表現される言葉であるように身体と心は切り離せません。

ヨガ、武術と出会い表裏一体を感じます。
世界は陰陽のバランスで成り立っています。
一人の人間にも表裏があり度合いの違いがあるだけで対になって出来ています。
100円の硬貨は100と反対に桜が書かれた絵が。
落ちる木の葉も然り。
人間は前側にお腹、後ろ側に背中といったように。
表だけ裏だけの人間や物事はきっとないと思いますし、それが自然です。

今、問題になっている食品の誤表示は表だけ良く見せようという不自然な結果の現れです。良くも悪くもそのまま存在するのが自然です。そして対象の物事は良いのか悪いのかも捉え方により変わります。
更に抽象的になりますが、そこに光が入れば闇も消えたり、光の角度で違う見え方をします。
一方的に捉えるのでなく多面的に捉える。二次元でなく、三次元のように質感や立体感を得て柔軟に本来の姿を見たいです。その方が深みを増し、より楽しいです。

生涯を通して身体を研究されている先人の方々に出逢う度、感じるのは身体の深さ。
身体は海のようです。
外からの見た目だけだと深さは分りません。浅瀬と一緒かな、と思ったりします。
身体や心の動き、共に過ごすとその深さが増していきます。まだ、深い。
どこまでも透き通っていて、濁っていない、そこには快い流れがあります。
腰痛、首、肩の痛みや強張りは小さな川の流れに石が入り、せき止められて木くずやごみが詰まるといった感じです。

後日、器用でない人間が同時にいくつも吸収したので身体のサインとして知恵熱のようなものが出ました。学びを深めていきたいのですが、許容量をオーバーしたようなので今回、身体が身を持って教えてくれた、自分を知る事が出来た、と身体に感謝と癒しの気持ちを持って少しゆっくり歩を進めます。
ヨガが私にとって陽ならば、武術は陰なのだと感じました。
磁力で引き合い反発するように今はヨガと向き合う時であると感じました。表裏、陰陽バランスを保ちながら、限られた時間とひとつしかない身体をたいせつに、心は正直に生きていきたいです。