2013年10月31日木曜日

ヨガと日本人

ヨガは約4500年前から歴史が始まっています。
人間にとって必要なものでなければ淘汰され失くなっていたでしょう。
私は日本人ではありますが、インドが起源とされているヨガに出逢えて、身体を通し歴史を学んでいます。

国境や国籍や人種や異性の違いを越えて善き事は拡がっていきます。

時代の流れ、背景とも関わりながら、ひとの身体も心も育まれてゆくのだろうと実感する事がありました。

第二次世界大戦が終結し、平和と代償に日本は失ったものがあると思います。
戦争を論ずる言葉で『その国の歴史、文化を奪えば征服できる』と偉人が言っていますが、日本もそれに外れていません。
欧米の文化を受け入れた分、日本の文化としての歴史教育が失くなりました。
今、古事記などが書籍で分かりやすく解説され店頭でも目にします。
現代社会に生きる私たちは日本人の歴史や心を知るため、そこに息づく日本人の心を求め多く読まれているのだと思います。

語り始めると止まらないので、前置きはここまで。

先月、初めて武術をやりました。
主人が古武術を通しての身体操作を研究しているので受けに行きました。
長く一緒に居ますが、一度もきちんと学ぼうとした事はありませんでした。
それは理解が出来ないということと、学びたい気持ちが沸かず、何故か前向きな姿勢になれませんでした。
合う、合わない、好き嫌いも人にはある、個性、生理的なものだ、とずっと思っていたのですが、ヨガを始めて”違う”と気づきました。

欧米化社会になった日本。
医学も主流は西洋医学。
考え方も物質主義。
資本主義の経済。
学校には英語教育。
体育もスポーツ。
体育学もスポーツと運動生理学としての西洋医学。
義務教育の頃から、欧米、西洋に親しんでいる私たちには東洋の考え方が染みついていないのです。そしてそれは身体にも。

”身体と心はつながっている”と感じる事は今までにありましたが、ここまで強く感じる事はありませんでした。

武術が出来ないのです。身体が全くいうことをききません。
不思議でした。
何ひとつ出来ませんでした。初めから上手くできるものはないと思うのですが、ここまで出来ないのかと思う程でした。身体が戸惑うのです。頭で理解できたとしても身体が動かない。
スポーツには自信があり身体を動かす事が大好きですが、武術は意識するもしないも自然と避けて通っていた分野。今の日本では武道をやってる人口の方が少ないと思いますし、スポーツの方が慣れ親しんでいます。

”日本人の心や歴史、文化を学んでこなかった為に身体も日本人の動きが出来なくなっている”とその時始めて気づきました。
衝撃的でショックでした。
『日本人でありながら、日本人でない』
『祖先の身体や心を受け継いでない』
身体の感覚からそう言われているようでした。
改めて”身体と心はつながっている”と感じたのです。

沖ヨガはインド、中国、日本を合わせて出来たヨガです。
インドはヨガ。
中国は太極拳、拳法など。
日本は武道。
とそれぞれの国の身体の動かし方があり、そこにはそれぞれの国の歴史と心が息づいています。
ヨガ、太極拳、武道と出逢い少しずつではありますが学び始めました。
東洋人として生まれ、生きていくには東洋哲学、医学は重要であると心得、身体を通し、自分を通して、東洋の歴史と心を学んでいきたいと思います。











2013年10月26日土曜日

ブログはじめました。

きっかけは自然療法家、東城百合子さんにお会いした事がひとつあると思います。

講演会での一言です。
「何も言わないのは“不幸の種”を蒔いているのよ。」
その言葉が胸に突き刺さり、そのまま帰宅し、今日に至ります。

曖昧にしたり、逃げたり、他人任せ、発言を回避、今の政治家然り、大人社会、現代の日本の姿です。

今、ご縁ありまして、子供達と接しています。身体を動かす事の楽しさや、身体の動かし方を一緒に行っています。
まだ始めたばかりの端くれなのですが、子どもたちの心や身体の使い方や考え方は大人からの反映であるな、と。
”子供は真実を映す鏡"と言いますが、本当にそうだと思います。

大人がマイナス思考だと、子どももマイナス思考になり、大人が真剣で無かったり、集中していないと子どももそうなるのではないだろうか。
いじめがあるのも、大人社会の生存競争が激しいからではないだろうか。
子どもはすべてが初めてです。
見て、マネて、学んだものがすべてになります。
大人が迷うと子どもも迷う。
親が自身の心や身体の声が聴けないと、子どもも親と同じように無理をしてしまう。

“~鏡”の話をもっと突っ込んですると、私には怒りの感情があまり芽生えません。何でだろう?と大人になってから疑問だったのですが、(周りが疑問に思っていた)思い返してみると、子どもの頃に怒られた記憶がありません。母には一度も怒られる、叱られるという事はなく自由に育ててもらいました。父には一度強く叱られたのですが、妹を泣かしてしまい押入れに隠してしまったときだけです。
と、そんな経緯から喜怒哀楽の“怒”が現在に至っても生活の中に少ないです。

大人が前向きに明るく楽しく生きていれば、今は子ども社会に生きる子どもも笑顔で今を楽しく過ごせるのだろうと思います。その心の想いが培われ、育んで、大人になってほしいと願います。そんな大人が社会にたくさん増えれば日本は安泰です。

ヨガのことを書きたかったのですが、また次回。